VRで無意識の中の境界を越える「ne.mui」: オノ夏キ

この記事では、NEWVIEW AWARD 2019のファイナリストでSILVER賞とPARCO PRIZEを受賞されたオノ夏キさんのVR作品「ne.mui」を紹介いたします。作品の鑑賞方法については、記事の最後に記載しております。

境界線を何度も越える

この作品は「無意のネットワーク」とその境界線について問いかけており、大きく分けて6つの異なる空間の境界を越えながら、その抽象的・哲学的な概念をVRで体験できます。
作者のいう「無意のネットワーク」とは。そして、そこにある境界線とは何なのでしょうか。
 
 
最初に空間に見えてくるのは大きな作品タイトルとカーソル。そのエントランスのような場所で待っていると、天の声が聞こえてきます。人間の声と機械の声が重なり合いながらこの世界について話し始めます
この作品タイトルは「無意のネットワーク」を表す言葉であり、続けて読めば眠いという意味にもなります。無意とは、意思のないこと。故意でないこと。また、意識のないこと。当たり前のことかもしれませんが、私はいまだにお互いの距離や見るものによって人それぞれの世界が構築されている様子が不思議でなりません。
人の姿に生まれたから、その個体なりの世界があること。
音であれば、周波数の届かない範囲にいれば聞こえず、色であれば、目の作りによって個々に世界の見え方があります。仮にこの世界のすべての音が一斉に聞こえたらどんな音だろう、など、音やビジュアル、あらゆる情報が渦巻いてこの世界の空間と繋がっていることを表現したいと思いました。
その土台となるのが境界線です。10代の頃から、私の見える世界は何をどう区別、もしくは分別されているのか考え続けてきました。
今はインターネットがあり、地球の裏側の情報まで簡単に手に入ります。その上で、VR空間とは何か、このような考えを通して改めて考察していきたいと思い、私は作品を通して問いかけます。
あれ、今誰が喋っているんだろう。
(作品より)
 

たしかに、私たちはお互いが同じ世界を見ているように思っていても、人それぞれ見え方は異なります。この作品はそれぞれの人間が意識・認識している世界について、そしてその世界の外側「無意」の状態での世界の繋がりについて、その狭間にある境界線を土台に捉え直そうとしています。また、作者がずっと考え続けていたその不思議な感覚をVR空間で構築することで、体験者のVR内外の意識の境界線、その空間自体に対しても問いかけています。

道に沿って進むと目の前にぼやけた膜のようなものが現れます。これが、こちらの空間とあちらの空間を隔てる境界のようです。

境界の膜を通り抜けた先は全く別の空間が広がっており、詩が書かれたキューブが回転しています。

境界線
 
無意識のうちに 日々の暮らしの中で
「選択」をして生きている
同時に そこには
境界線が生まれていた
(作品より)

アナログフィルムのような長いバンドを辿ると、ある部屋にたどり着きます。

トイレの個室のような空間で回転する便器。身体の像、松ぼっくり、木の幹、天井に設置されたドア、ロケットのように勢いよく動く植木鉢。そして雨のように降り注ぐ無数の白いニョロニョロ。

壁とは別の境界線とは?

(作品より)

その問いかけにすぐに納得するでしょう。壁という境界を無くした空間で、重力の法則を無視したオブジェクトたちに囲まれていると、一体自分がどこにいるのか分からなくなり、そこに境界があるのかないのかさえも分かりません。秩序のない空間で段々と方向感覚を失いそうになりますが、画面中央を横切っている白い線が行き先の方向を示してくれます。

次の空間への境界が目の前に現れます。

カラフルな色で囲まれた次の空間では、サングラスと歯が音楽に合わせて奇妙な動きを繰り返します。

食べ物とそうでないものの境界線、必要なものと無駄なものの境界線とは?

(作品より)

食道のようなトンネルを進みながら投げかけられる問いは、消化される食べ物のような感覚と相まって、普段の視点とは全く違った場所から世界を見る感覚を体験できます。それこそが、普段の自分の意識や認識の向こうにある「無意」の世界なのかもしれません。

このように作者は色々なものの境界線について問いかけながら、独特の色彩、オブジェクト、アニメーションで構成された世界へ鑑賞者を惹き込み、感覚に直接訴えかけます。一見、脈絡のないように思える全く異なる空間どうしは、作者のいう「無意のネットワーク」により一貫して繋がっています。そうした異なる空間を何度も連続させ繰り返し問いかけることで、今まで意識の外にあった「無意」の世界とその繋がりをバーチャル空間上で体験することができます。

別の空間の中では、映像と音楽が流れています。これは作者の寝ている状態を録画した画像を元に、寝返りの度に画像から数値を抽出し、無意識の動きを意識的に配置された音に変換して作られています。

同じ空間では、作者のアバターが眠っています。動かない体と、激しく寝相の悪い体。2つの体が重なり合っては離れる状態を繰り返します。これは寝ている時の寝返りや伸びなど、無意識の動きを再現しています。夜、眠っているときに、「さあ、体を左に傾けよう」と心に決めて左に寝返る人はいないでしょう。寝ている時のもそもそとした動きは、無意の行動と言えるのかもしれません。

作品タイトルのne.muiは、そのまま読むと「眠い」という意味にもなります。授業中や仕事中、電車の中で眠気が襲い、だんだん意識が朦朧としてくる時や、夜布団に入り明日のことを考えているうちにおかしな夢が始まる時など、眠い時というのは意識が無意識と切り替わる狭間であると言えるでしょう。それもまた、作者のいう「意識と無意識の境界線」なのかもしれません。

さらにこの空間で作者は問いかけます。

あなたが今見ている世界、
アバターを通して
VRゴーグルを通して
それで、あなたの意識はどこにありますか?
VRの世界の人たちの定義はなんですか?

(作品より)

様々な境界線について体験し考えながら行き着いた最後の部屋では、境界線があることの意味について問いかけています。

物体や事象を 交わらせない
一本の線

それは 人が人らしく生きるために
生まれたものなのか

(作品より)

あなたの境界線は?

(作品より)

 

アーティスト紹介

ono-natsuki-artist

オノ夏キ

USB人間 |日本

2019年夏 、「思い出を空間ごとダイレクトに保存したい」と思い、自らUSB人間となる。 映像編集をしたり、イラストなどを制作しながら暮らしている。

(NEWVIEW 公式サイトより引用 https://newview.design/works/nemui )

無意識の中にある境界線とは

本人コメントより:

「無意識の中の境界線」について考察した作品です。 タイトル「ne.mui」の意味 「ne.」はNetwork、「mui」は「無意」という日本語です。 「無意」とは、意志のないこと。 故意でないこと。 また、意識のないこと。 「ne.mui」は、”NEMUI”と読めば、”私は眠い”という意味を持つ日本語も含みます。

(NEWVIEW 公式サイトより引用 https://newview.design/works/nemui )

自分が見ている、意識・認識している世界の外側や、眠りについた後の世界、そういった無意識の世界を作者はVR空間で繰り返し描写しています。

外と中、壁以外の境界線は
他人、初めましての境界線は
ごみ、いらないもの、の境界線は
料理、食べ物の境界線は
空、宇宙と地球の境界線は
2人、愛しているの境界線は
命、生まれるの境界線は
(作品より)

作者は、自分の意識の内側から外側へ徐々に範囲を広げながらその境界線を問いかけています。一番最初の詩の中で、「無意識のうちに日々の暮らしの中で「選択」をして生きている。同時にそこには境界線が生まれていた」と語っていたように、そこには選択しなかったものたちの世界があり、その世界に目を向けることで無意の世界を意識的に見つめ、そこにある境界線を探っています。

主観的世界がVRと結びつくとき

この作品は、作者の独特な主観と問いかけがVRの世界で審美的に構成されています。そのような主観的世界がバーチャル・リアリティと結びつくとき、その世界を壮大なビジュアルやサウンドで体験でき、その没入感でより作者の主観に近づくことができます。それは、作品テーマでもある「無意の繋がり」なのかもしれません。

「あなたの意識はどこにありますか?VRの世界の人たちの定義はなんですか?」と作者は問いかけます。鑑賞者としてVRの世界にいるつもりでも、作者の視点から見るその強烈な主観的世界にどんどん取り込まれ、鑑賞している側であるという意識は曖昧になります。それが自分の意識なのか、はたまた他人の意識を借りているのか、それとも全く違う他人になってしまったのか。そういった意味では、鑑賞者としてVRの世界にいるつもりでも、それを定義することは困難です。作者のいうVRの世界の人たちの定義については、より多くの議論が必要になるでしょう。

自分の境界線はどこ?

意識せずとも何かと繋がっている感覚。わたしたちの体は漫画のように黒い輪郭線で捉えることはできず、その意識も縁取られるものではありません。しかし、バーチャル空間で作者の主観的世界を体験した後、なんとなくその意識に繋がる感覚を覚えました。無意に繋がる自分。作品内で何度も境界線を越え、様々な境界について考えさせられ、最後に問いかけられた「あなたの境界線は?」

鑑賞前にあった作者との明確な「他人」という境界線は作品体験により曖昧になり、自分という輪郭はぼやけていきます。自分の境界線はそもそもあるようでないようなものなのかもしれません。そこには自分が自分たる所以としての輪郭、意識的なアイデンティティが存在しつつも、無意識の中ではあらゆるものと繋がっていて、自分という線引きには関心がないようです。そんな中での自分の境界線は、曖昧ながらもかろうじで意識的に見る自分自身なのかもしれません。

 

VRシーン体験方法

スマートフォンからアクセスしてる方は、そのまま「シーンを体験する」ボタンをクリックしてください(※初めての方は以下の説明もご参照ください)。

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そして「Play on Mobile App」を選択するとシーンを体験できます。

HMDデバイスをお持ちの方は、PC(Webブラウザ)から「シーンを体験する」ボタンをクリック後、シーンページのVRアイコンをクリックしてください。

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 VRシーン体験方法については、以下の記事をご参照ください。