バーチャル空間をつくる 第2回「みえる / みえない 可視不可視の関係性」

本記事では「バーチャル空間をつくる」と題して、バーチャル世界における空間づくりとは?というテーマを、毎回1つの着目点を定め、読者の方と一緒に実験を通じて紐解いていきたいと思っています。

第2回のテーマは “Visibility”。バーチャル世界と現実における「みえることとみえないモノのあいだにある新しい不思議な関係性」についてみなさんと一緒に考えていきたいと思っています。

ぜひ皆さんもSTYLYを使って実際に手を動かしながら、新しい世界の空間づくりに挑戦していっていただければと思います。

第2回 みえる / みえない 可視不可視の関係性

こんにちは、拡張体験デザイナーのsabakichiです。

前回より「バーチャル空間をつくる」と題して、バーチャル世界における新しい空間づくりとは?というテーマを掘り下げていく連載をスタートしました。

 

第1回ではまずは空間と建築の考え方に簡単に触れ、バーチャル空間独自の特性として“Surface”を取り扱いました。

第2回のテーマは “Visibility”。バーチャル世界と現実における「みえることとみえないモノのあいだにある新しい不思議な関係性」についてみなさんと一緒に考えていきたいと思っています。

今回も実例のサンプルを用意していますので、実際に空間を体験し、共に手を動かしながら新しい空間制作の世界を紐解いていきましょう。

 

Extended Space Experiment Visibility

Extended Space Experiment “Visibility”

サンプル&体験

本記事向けに制作した空間のサンプルをSTYLY GALLERYから体験できます。

Extended Space Experiment – Visibility [シーンページへのリンク]

VR機器を持っている方はSTYLY VR版から、そうでない方でもデスクトップから閲覧できますので、是非ご覧になってください。本文と一緒に読んで体験して頂くと、より楽しい発見があるかもしれません。

 

プロジェクトデータのダウンロード

記事で紹介しているUnityプロジェクトのダウンロードはSTYLY-Unity-Examplesからできます。

Assets > STYLY_Examples内にある

「ExtendedSpaceExperiment_Visibility」フォルダが今回使用するものです。

ぜひ記事のおともにダウンロードしてみてください。

視覚的世界

突然ですが、皆さんは普段、日常生活を送るうえで、どのようにしてモノを見ているでしょうか

とくべつ「アレを見よう」と集中したり、特別な努力をせずとも、見たいものがある方を向き、対象を視界へと収め、視線を合わせるだけで基本的には見たいものを見ることができています。

これは物体から反射した光が私たちの目に「入ってきてくれる」性質によるものです。「見る側」が自ら周囲を照らす光線等を発さずとも、周囲の光が理解するための視覚的な情報を自動的に届けてくれるわけです。便利な世の中です。

基本的に、「存在するものは見ることができるだろう」私たちは多くの場合、そう信じて生きています。

物質は目に見えるという基本的な性質があり、「存在しているもの」「視認することが可能なはずである」といつの間にか思い込んでいるフシがあります。ガラスなどの光を透過する性質をもつ物質だけが”特別”であって、それ以外は「見えるはずだ」という“勘違い”を抱きがちです。

しかし実際には、さまざまな物質が気体として大気中に存在をしています。これらは目には見えませんし触れることもできません。実際には、空気抵抗などを通じて触れることができているはずなのですが、存在しているという認識にはなかなか至りません。知識としてはわかっているのに、不思議です。

これは私たちが「存在している」と認識することと、「見えている」ことの関係に一種の認知上の”ズレ”があることを示しているのかもしれません。知覚できない、もしくは知覚することが難しい物体は、存在していないと思い込む傾向が高くなり、見えているかどうか(もしくはその他の感覚器で知覚できるかどうか)の度合いが「そこに存在しているか」「そこにある」感覚に強い影響を及ぼしているように思えます。

 

[fig.1]

Visibility and Existence

存在していることと見えているものの範囲
「見えているもの=存在しているもの」と思い込みがち

映画「攻殻機動隊」では、未来の機動部隊の装備として「光学迷彩」と呼ばれる、視覚的に対象を見えなくする技術が登場します。仕組みとしては、対象物を迂回するよう光を捻じ曲げる技術を実装した素材=メタマテリアルを用いて視覚情報を偽装するものですが、これは見えない=存在しないだろうと思い込む人の認知を巧みに利用した装置と言えるでしょう。

前回、空間という概念は「ない」ことを示す考え方であることに触れました。

[第1回記事はこちら]

空気などの「目には見えないが物質としては存在している透過性の物質」はわかりやすい例でしたが、物理的には存在せず、人の認知が作り出す「空間」という概念もまた、「視覚的には知覚できないが存在はしている」というものの代表的な例と言えるかもしれません。

空間知覚は、視覚的な情報に多くを依存しています。

見えている壁、床、天井、階段etc…視覚で出来上がっていると言っても過言ではないこの世界において、「見ることができること」というのは「そこに存在している記号」として振舞っていると解釈することができます。

もし、それらを巧みにコントロールできたとしたら、存在を知覚する感性、つまり対象に対する「実在感」をもコントロールし得るという、魔法のような技術を扱うこともできるようになるかもしれません。

“みえる”と”みえない”のあいだ

「みえることと存在の関係」について触れてきましたが、次にそれらの関係性を崩す代表的な要素について触れていこうと思います。

透過性(Transparency)です。

最も身近なものとしては、透過する性質を持つ「ガラス」でしょう。現実の建築空間の様々な場所に数多く用いられています。物理的には風雨から内部空間を守る隔壁として機能をしますが、光だけは通すという一見矛盾した状態を作り出すことで、内部と外部との非対称性を生み、快適な居住環境を構築する一助となっています。

同じく卑近な例としては、障子などの半透過性の素材が挙げられます。障子は見える/見えない、そのどちらでもない状態を作っているいわば“中間の存在”といえます。適度に光を通し、完全に遮断をしないという曖昧な性質を空間構成の要素として利用することで、多様な存在の重ね合わせを実現しています。他にも、樹脂素材やテントなどの膜(幕)素材など、様々な透過性を持った素材というものが存在し様々な建築物に活用されています。

「紙は透過性を持つ」というのはあまり馴染みのない分類かもしれません。ここで着目したいのは、元来、すべての物質には「透過性というパラメーター」が存在している、という事実です。

一見不透明なものであっても、強い光を当てれば透過する場合もあったり(例えば手を太陽にかざすと透けて見える)、透過していても人間には知覚できないレベルであったりとその透過度合いはまちまちではありますが、生き物から岩、果ては金属まで、どんな物質であっても少なからず光を透過しているのです。この「光をどの程度通すか」という捉え方は、日常生活ではあまり意識しないとはいえ、重要な視点ではないでしょうか。

実際に、「光を透過するコンクリート」という向こう側の光を透かして視ることのできる不思議な建材も存在しています。こうした奇妙な例を基にして考え直してみると、もしかしたら物質が透過するかどうかということは、本質的にはもっと自由なものなのかもしれません。

空間の境界と視覚認知

存在の知覚が視覚情報に依存していること、そして透過という性質によって、物体の視覚情報は様々な状態を取る可能性があることを紹介してきました。では肝心の私たちはどのように視覚を通じて空間を認識しているのでしょうか。ここでは空間の知覚において視覚がどのように振舞っているかを探っていきます。

まず、空間は建築から生じることは前回簡単に触れてきた通りです。

[第1回記事]

ここでは、建築は「無秩序な世界に境界を設定」することにより、「人間にとっての空間」を生み出す装置として機能しているという捉え方をしていました。今回もそのような視点を基にして考えていきたいと思います。

境界というものが視覚的にどのように表現されるかということを考えた時に、わかりやすいのは「隔壁」だと思われます。要するにです。より抽象的な言い方をすれば「境界線」「境界面」といったものになるでしょう。

 

[fig.2]

Visible Border Image

隔壁 / 境界線 / 境界面の概念図

これらの「隔壁」は、内部と外部とを隔てる、もしくは隔てることにより内部空間を発生させる機能を持っています。そしてその存在は各種情報によって伝達・知覚されます。その中には「音の反射」なども当然ありますが、最大の伝達手段が視覚情報ということはお分かりいただけるかと思います。

隔壁を認識するためには「光を通さず」「光を反射する」ことが必要ですが、それでは「光を通す」ことは一体なんの機能を持っているのでしょうか?

内側の立場になって考えてみましょう。内部空間側からすると、隔壁は「光を遮断するためのもの」と捉えることができます。そこでは隔壁の最大の機能の一つである「外敵から守られる」安全な内部空間が成立してはいますが、閉ざされ外からの光が一切届かない状態というのは、流石に快適な室内環境とは呼べないでしょう。

快適な内部空間を手にするために、人々はまず開口をつくりました。隔壁の一部分にを開け、外部の環境を内部へと取り込もうとしたのです。しかしこれはある種の不都合とトレードオフで実現されています。というのも、外部からは光を空気を取り込みたかったのですが、開口を通じて外部と内部とがひとつながりになってしまったために、その大きさに応じて小動物や昆虫、雨水が入り込むなど、本来遮断すべき要素も入り込んでしまったのです。

 

[fig.3]

Opening Image

開口をつくる / 窓を開ける / 外部環境を内部へと取り込む / 入り込む内部環境の要素の図

そこで考えられたのが「遮断するが特定の要素のみを透過する性質」を持つ隔壁でした。壁に穴を細く開けたスリット、鉄格子など様々に工夫がなされ、最終的にたどり着いたのが「ガラス」や「網戸」といった特定の機能を有する透過性のある隔壁です。

光を通すのは「窓ガラス」や日本だと「障子」などが代表的なものでしょう。光を通すというのは、つまり境界を隔てた情報のやり取りを意味しています。そこでやり取りされるのは「光」「音」「匂い」「視線」など様々で、それらに応じて多様な透過質を持つ素材や仕組みが開発されてきたというわけです。

こうして考えていくと、とりわけガラスなどは、非常に都合の良い発明品であることがおわかり頂けるかと思います。現実の世界でのガラスは色付きガラスや赤外線を吸収する素材が混ぜ込まれていたりと、透過の性質をうまくコントロールしている製品が沢山生み出され活用されています。

似たようなもので、カーテンなどのシェーディング装置も光の透過を調整するアクセサリと捉えることができますし、どうやら透過能をコントロールすること快適な空間を構成するうえでは重要なことのようです。

世界をみる方法

さて、長々と透過する隔壁がもつ性質についてお話してきましたが、バーチャル世界でこれらを活用するために、ここでは視覚による知覚の方法についてより細かく分解していくことにしましょう。

まず、物体を視覚を介して知覚する方法としては、以下の2つが考えられます。

  1. 物体に反射した光を見る(直接的な観測による知覚)
  2. 物体同士の相互作用を視認する(間接的な観測による知覚)

視覚による知覚に限定せずに考えると、物体を直接触って観測する場合は、厳密には「手と物体の力の反作用」を知覚しています。同様に、2の物を当てるというのも、「物体の跳ね返りを間接的に観測」しているに過ぎず、本質的には同様のものです。しかし、2は自分が介在しなくても観測できる可能性があるという点で異なります。

反作用を利用するという点では、1の反射光を観測するというのも実は同様です。人間の眼は物体に反射した光を観測しているに過ぎないため、これも本質的には2の物を当ててその跳ね返りを見ているのと同様の方法ということになります。

この同じようでいて異なる2つの知覚方法を利用して、私たちは視覚情報を得ているということを仮定として考えると、1の方法では完全に透明な物体は観測することができませんが、2の方法でなら可能です。これらの小さいように思える差異は、バーチャルの世界では大きな違いとなります。というのも、現実では「完全に透明な物体(固体)」の作成は反射を完全に消すことが不可能なため非常に困難なのですが、バーチャル世界においてはこれが可能であるという、根本的に世界のもつ可用性の違いがあるためです。

完全に透明な物体を知覚する方法は、直接触れるか、もしくは間接的に観測する以外方法がないように思われますが、そのような純粋な現象をコントロールできるのも、バーチャル世界の新たなたのしみの1つです。

みえる/みえないのコミュニケーション

さて、前項では完全に不可視な物体がバーチャルでは存在していること、それらを知覚する方法に触れてきましたが、「みえる」ということが持つ”意味”についてもう少し深く掘り下げてみたいと思います。

「みえる」ということはつまり情報を取得できるという可能性を意味しています。観測者は「視る」ために「視線」を送り、そこから視覚的な情報を返答として取得するわけです。そうした見方に立って考えると、視覚というのは視線を通じた情報のインタラクション(相互交換)であると捉え直すことができるかもしれません。

 

[fig.4]

Communication Image

みえる/みえないのコミュニケーション

そこではみえる/みえないという属性が、内部と外部とでやり取りを行います。
視覚的な疎通が行われる様子は、あたかも光の情報を介してコミュニケーションをしているようでもあります。

可視不可視のコントロール

前半の項で触れた「隔壁がある」という視覚的な情報も、空間構成要素とのコミュニケーションにより得た「そこに壁がある」という情報交換の結果です。ガラスなどの透過性素材は、内部からどれだけの情報を外部へと返すのかをコントロールする装置であると捉えることができますし、また外部からどれくらいの情報を内部へと侵入させるかのコントロール手段であると考えることもできます。

 

[fig.5]

Control Visibility Image

可視状態のコントロールとコミュニケーション

 

これらの視覚的な疎通の可能性の設計・コントロールを行うことが、より純粋なバーチャル空間においては直接「存在」の知覚のコントロールに結びつく可能性があります。

というのも、前述したように、バーチャル空間では完全に遮蔽することも透過させることも、そして完全に見えなくすることもすべてが容易です。マテリアルのスライダーを動かすだけで、空間の構成要素たる壁や天井は半透明にもなり完全に消し去ることもできるわけです。

これらの性質は、視覚的な情報に偏重しているバーチャル空間においては、視覚的な情報のコントロールが空間コミュニケーションの質に直結するということに他なりません。

現実の物理空間だと、こう簡単にはいきません。建物の設計者は内外のコミュニケーションをどのように設計するかに苦心し続けています。これはバーチャルの柔軟性を示すわかりやすい性質でもあると思います。現実の物理法則を模倣した仕組みであったはずが、現実よりも自由度を獲得しているのはなかなか面白い構図ではないでしょうか。

「ない」という存在

繰り返すようですが、第1回記事内で触れたように、建築は「ない」ということを示す概念である空間の存在をいかにして知覚させるかの技術です。

しかし今回、バーチャル世界においては「存在しているが見えない」という完全な透過質を実現できるということに触れてきました。「ない」ものを「ないもの」で表現する、これはもしかすると、矛盾しているでしょうか?

 

[fig.6]

Nothing Image

ないものによってないものをつくる?これは本当に存在しているか?

 

さらに不可思議なことに、バーチャル世界では「見えているが存在しないもの」も作ることができます。視覚的には知覚できるが、触ることはできないという矛盾した物体のことです。(例:コライダーが設定されていないがマテリアルは設定されたオブジェクト)

現実の物理空間には、「見えているが存在しないもの」はホログラムなどの特殊な例を除きありません。あるとすれば幽霊などですが…そうした意味において、バーチャル世界には幽霊が存在できると言えるかもしれません。

1つ目の「見えないものでできた空間」を知覚する方法は、どうやら前半の項で触れた間接的な観測を行うことで知覚することができるような気がします。

2つ目の「見えているが存在しないもの」でできた空間は、実際に作ってみないとどんなことが起きるのか現時点ではわかりません。現実に同様の例がないからです。

実際につくってみた

というわけで、実際にその2つを実例として作成してみました。

 

シーンの各エレメントごとの解説

存在しない存在の知覚「見えないが存在している」という現象を衝突によってシンプルに表現しています。
sample1

もう一つ、バーチャル世界では重要な視覚情報のコントロール方法があります。それは一方向からの可視状態の構築です。片側からは透過して見ることができるが、逆側からは情報を遮蔽するという不均衡を生み出すことができます。これもサンプルの中に例として作成してあります。
sample2

具体的には、前回の記事で触れたSurfaceのもつ性質を利用したものです。ポリゴンの描画の設定はシェーダーによってコントロールされていますが、シェーダーの設定により裏面からはポリゴンを描画しない=見えないようしていることで、この性質が実現されています。シェーダーに関しては非常に奥が深いためこの記事では触れませんが、このように、視覚的な見え方はシェーダーでより細かく制御することができます。

 

他にも、不可視状態の物体を視る方法をいくつか実装したサンプルをシーン内に散りばめてあります。間接的な観測による空間の明滅の様子を観察していただければと思います。

sample3

sample4sample6

 

現状(2019年8月)ではSTYLYはまだマルチプレイに対応していませんが、マルチプレイができるVRプラットフォームにおいては、見る側によって可視不可視が変化するオブジェクトによって表現された空間は、人によって異なる見え方を実装することができ、インタラクティブに変化するバーチャル空間ならではのアンバランスな“おかしさ”を体感することができます。

sample5

みえている=そこにある?

今回も少々多めのボリュームとなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。

バーチャル空間では視覚情報のウェイトが大きいため、視覚情報をコントロールすること=空間が存在することの表現に直結するという性質がとても強くあります。

必ずしも見えているからそこに存在しているとは限らない、というのは、考えてみれば現実と似ているかもしれません。物理的に存在しているかどうかではなく、現象やストーリーといった心で感じるものこそが、本質的な存在であるという見方もできると思います。バーチャル世界で、物質に頼らず、より大切なものをいかに表現するか実在を感じて貰うかを考えることは、物理世界での見え方すら変えてしまう表現活動かもしれません。

「存在」とはなんでしょうか。見えている=存在、触れることができる=存在なのでしょうか。それでは、アバターを介してVR空間で出会う人々は、果たして存在していると言えるでしょうか?触れないからといって存在していないわけでもなく、見えないからといってそこにはないということにはなりません。

そうした新しい存在の方法を私たちが取り扱うことができるのがバーチャル世界だと思います。今後、バーチャル世界を介した体験を通じて、存在のあり方がもっと自由になっていく社会が訪れるかもしれませんね。

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次回は「完全な世界 理想のかたちと身体」というテーマでお送りする予定です。お楽しみに。